あんさんぶる荻窪と税務署の「財産交換」問題で密室諮問会議


 建築費約30億円をかけて2006年に落成したばかりの区営施設「あんさんぶる荻窪」(杉並区荻窪、地上6階)を財務省荻窪税務署の土地と交換し、あらたに約30億円をかけて「あんさんぶる」と同様の施設を建設、さらに老人施設(民間)をつくるという区の奇妙な構想に批判と疑問が噴出している問題で、杉並区長の諮問機関「杉並区財産価格審議会」が1月19日に開かれ、1回の審議によって、交換する2ヶ所の不動産の価格が、それぞれ「適正な価格である」という交換を認めるような内容の答申をだしていたことがわかった。

審議会

 経理課に対して本誌記者が2日、取材して確認した。

 財産交換をめぐっては双方の財産価値の釣り合いがとれているのかといった疑問の声がある。審議会は区長の諮問機関とされているが、9人のうち4人は区の職員で構成されており「自作自演」の匂いもただよっており、こんごあらたな問題に発展することは必至だ。

 諮問会議は非公開で開催された。条例でその旨定めているという。経理課は当初、答申についても「非公開」だと説明していたが、条例は「会議」についてのみ非公開とあるだけで、答申を非公開にできる根拠はない。この点をただしたところ、「情報公開請求の手続きをとってほしい」と態度を軟化させた。そこでただちに情報公開請求の手続きをとったが、「決定の手続きが必要」などとして即日の答申書提供をしぶった。

「3月議会開会直前でもある。諮問会議の答申をすぐにださないというのはあまりにもおかしい。区民への説明責任を負う行政の立場がわかっていないのではないか」
 
 そう強く抗議したところ、ようやく答申書の写しが即日で開示された。A4版1枚のごく簡単な内容だ。だが、これだけでは何をどう答申したのか意味がわからない。やむなく、区長から審議会に対して意見をもとめた際の「諮問書」の開示も求めた。しかし、経理課はこれを出すことを渋った。2日午後5時現在、入手できていない。

 杉並区が密室行政の体質を強めていることがよくわかる。

 財産価格等審議会の構成員はつぎのとおり。

 ・宇賀神雅彦副区長(会長)
 ・川原口宏之(公明党区議)
 ・浅井くにお(自民党区議)
 ・坂野正和(みずほ銀行荻窪支店長)
 ・鈴木秀章(東京都杉並都税事務所長)
 ・宮嶋三世(東京都宅地建物取引業協会杉並支部長)
 ・白垣学(政策経営部長)
 ・南雲芳幸(会計管理室長)
 ・渡辺幸一(都市整備部長)

 区長の諮問機関とはいえ、宇賀神副区長をはじめ9委員のうち4人が区の幹部職員がしめており、独立性には疑問がある。

 なお、田中区長の政治団体が主催する政治資金パーティの発起人・宇田川紀通・武蔵商事社長が杉並区特別職報酬等審議会の会長を努めている問題や、武蔵商事と杉並区の間でマンションや自転車駐輪場の賃貸借契約が結ばれ、年間2800万円を杉並区が払っている問題について、さる1月13日、総務課を通じて田中区長に書面で質問を行ったが、およそ20日が過ぎた2日現在も回答はなされていない。

「杉並区長の政治的支援者が7年にわたって報酬審会長に居続ける異常」

 秘書室によれば総務課から回答するとのことだが、記者が2日に問い合わせたところ「来週はじめには回答できると思う」などと答えた。しんぼうづよく待ち続けることにしたい。
 

「“ 日本軍が朝鮮女性等に 強制的 ” に売春行為をさせた事実などない」吉田あい杉並区議発言を検証する⑤


「“ 日本軍が朝鮮女性等に 強制的 ” に売春行為をさせた事実などない事は、今や周知の事実です」
 
 吉田あい杉並区議のブログ発言について、ひきつづき検証をおこないたい。http://yoshida-ai.com/index.php?itemid=992
 吉田氏が上記発言の根拠のひとつとしてあげる原審山口地裁下関支部の裁判について、一審判決の事実認定を引き続き紹介する。なお2審広島高裁判決、ならびに最高裁判決については、1審判決の検証が終わったのちにみていく。
 前回までに元「慰安婦」で原告3人の体験部分を紹介した。今回は、裁判所の事実認定のうち大状況に関する部分だ。なお別紙1は原告の主張をまとめたもので、判決に添付されている。被告国の言い分をまとめた別紙2もあるが、ここに事実に関する内容はほとんどない。
 山口地裁下関支部平4年(ワ)349号・同5年(ワ)373号・同6年(ワ)51号事件1998年4月27日判決の事実認定部分より引用。

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裁判所の認定事実

1従軍慰安婦制度の実態

(1)別紙1及び2によれば(引用者注・原告被告双方が主張する事実関係)

・ 昭和7年(1932年)ころから終戦まで、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したこと、

・ 慰安所は、当時の軍当局の要請により設置されたものであること、敗走という混乱した状況下で、慰安婦等の婦女子が現地に置き去りにされる事例があったこと、

・ 戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本を除けば、朝鮮半島出身者が多かったこと、

・ 昭和7年(1932年)にいわゆる上海事変が勃発したころ、同地の駐屯部隊のために慰安所が設置されたことが窺われ、そのころから終戦まで各地に慰安所が存在していたこと、

・ 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、あっせん業者らがこれに当たることが多かったが、その場合でも、業者らが甘言を弄し、あるいは、畏怖させるなどの方法で、本人たちの意思に反して募集する場合が数多く、また、官憲等が直接これに加担するなどの場合もみられたこと、

・ 業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際して、旧日本軍が慰安婦を特別に軍属に準じた扱いにするなどして渡航申請に許可を与え、帝国日本政府が身分証明書等の発給を行い、あるいは、慰安婦等の婦女子を軍の船舶や車両によって戦地に運んだ場合もあったこと、

・ 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していた事例が存在したこと、

・ 民間業者の経営にかかる場合においても、旧日本軍において、その開設に許可を与え、あるいは、慰安所規定を設けてその利用時間・利用料金や利用に際しての注意事項などを定めるほか、利用者に避妊具使用を義務づけ、あるいは、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行うなどの措置を採り、さらには、慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどしていたところもあったこと、

・ 利用者の階級等によって異なる利用時間を定めたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の検査をしていた慰安所があったこと

以上の各事実は当事者間に争いがない。

(2)右当事者間に争いがない事実と《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1)各地における慰安所の開設は、当時の軍当局の要請に基づくものであるが、その開設の目的は、当時、旧日本軍占領地域内において、日本軍人による住民婦女子に対する強姦等の陵辱行為が多発したことから、これによる反日感情が醸成されることを防止する高度の必要性があったこと、性病等の蔓延による兵力低下を防止する必要があったこと、軍の機密保持・スパイ防止の必要があったことなどが挙げられる。

(2)昭和7年(1932年)に上海事変が勃発したときに、上海に派遣された旧日本陸海軍が当地の駐屯部隊のために慰安所を設置したのが確実な資料によって確認される最初の軍慰安所である。帝国日本が中国に対する全面的な戦争を開始した昭和12年(1937年)以後、中国各地に多数の慰安所が設置され、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。

(3)慰安所が存在したことが確認できる国または地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及びインドネシア(当時)である。また、慰安婦の総数を示す資料はなく、また、これを推認させるに足りる資料はないから、慰安婦総数を確定するのは困難であるが、前記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置されていたことから、数多くの慰安婦が存在したと考えられる。

(4)慰安婦の出身地として資料により確認できる国または地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半身出身者が多い。

(5)慰安所の多くは、民間業者によって経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していた事例もあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項等を定めた慰安所規定を作成したりするなど、旧日本軍が慰安所の設置や管理に直接関与していた。慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務づけたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。慰安婦たちは、戦地においては常時
軍の管理下において軍とともに行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていた。

(6)慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともに人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが甘言を弄したり、畏怖させる等の方法で本人たちの意思に反して集める事例が多く、さらに、官憲等が直接これに加担する等の事例もあった。

(7)慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また帝国日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれた事例も少なからずあったほか、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。

別紙1(原告の主張要旨)

第3「従軍慰安婦」

Ⅰ「従軍慰安婦」制度
1 「従軍慰安婦」制度は、日本の軍及び国家によって創設され、管理されてきたものである。

(1)慰安所設置の経緯

 1932年(昭和7年)、いわゆる上海事変が勃発したころ、同地の駐屯部隊のために慰安所が設置され、以後終戦まで慰安所が存在しており、その規模、地域的範囲は、戦争の拡大とともに広がりをみせた。
 上海事変には、上海派遣軍の参謀が「軍慰安所」設置の指示を出して設置にあたり、1937年には中支那方面軍が、1938年には北支那方面軍が同設置の指示を行って設置し、1941年には関東軍が、1942年には南方軍が、「従軍慰安婦」の徴集と配置を行っており、同じ1942年には、陸軍省人事局が「慰安施設」設置結果を報告している。また、海軍においては、1942年の海軍省の文書にて、海軍省がその設置と運営方針を決定していた。
 このように、軍の最高司令部が「慰安所」を設置し、「従軍慰安婦」の配置を行ってきたのである。

(2)慰安所が存在していた地域

 慰安所の存在が確認できた国または地域は、日本(当時の植民地である朝鮮、台湾を含む。)、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオおよび仏領インドシナ(当時)であるが、被告が真摯に調査するならば、その範囲は広がることはあっても減ることはない。

(3)慰安婦の総数

 これを推認させるに足りる資料を日本国は積極的に検索する努力をしないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、慰安所が軍の必要かつ常設の施設であったこと、また、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置されたこと等に照らせば、慰安婦の総数は20万人ともいわれる。

(4)慰安婦の出身地

 慰安婦の出身地は、確認できただけでも、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシアおよびオランダが挙げられる。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば圧倒的に朝鮮半島出身者が多い。

(5)慰安所の分類
 
 第1のタイプは、軍直営の慰安所である。
 第2のタイプは、軍が監督統制する軍(軍人・軍属)専用の慰安所である。これは、特定の部隊専属の慰安所と、都市などで軍が認可(指定)した慰安所がある。

 以上が純粋の軍慰安所である。

 第3のタイプは、一定時期、軍が民間の売春宿などを兵員用に指定する軍利用の慰安所で、軍に特別の便宜を図るが、民間人も利用するものである。この場合、軍利用の程度に応じて国家の責任が生ずることになる。例えば、指定期間にそれが軍人・軍属専用になれば、その期間中は第2のタイプの軍慰安所となる。

(6)慰安婦の募集

 慰安婦の募集については、本件訴訟の被告答弁においても、強制であったことを認めている。軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者らが、純朴な少女を含む女性に対し甘言を弄し、あるいは畏怖させる等の形で行われた。軍当局も業者らの詐欺的又は脅迫的な募集方法を知りながら、これを容認した。
 朝鮮半島、台湾における「従軍慰安婦」の徴集は、軍が選定した業者や周旋人に行わせたものと、官憲によって直接連行されたものがあるが、元「従軍慰安婦」の証言によれば、軍人、憲兵などが、家にきて無理やり連行されたり、路上で官憲につかまり連行されたなどの暴力的強制連行、および金が儲かるよい仕事がある、工場、食堂で働かないか、看護婦として働かないかなど欺罔、あるいは甘言を弄して徴集されたものがある。
 占領地域では、元「従軍慰安婦」によれば、日本兵が家にやってきたり、路上を歩いているところを暴力で連行、強姦され、監禁されて「従軍慰安婦」にさせられ、日本軍によって家族や村の住民が虐殺される状況の中で、若い女性が強姦されたうえ、「慰安婦」とさせられている。また、軍が地元住民に「従軍慰安婦」の徴集を命じて集めさせたり、よい仕事があると騙して連れてきたものもある。

(7)慰安婦の輸送等

 業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は、彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどして、その渡航申請に許可を与え、また、日本政府は、身分証明書等の発給を行うなどした。
 さらに、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった。
「従軍慰安婦」を船で戦地に送る場合には、陸軍は日本船籍の軍用船に、海軍は軍艦や軍用船により、陸軍が陸路による場合は、鉄道や日本軍のトラックを使った。
日本から渡航する場合、「渡航証明書」の発行は各警察署が、朝鮮、台湾については総督府の下にある警察署が行ってきたが、1942年1月以降は、「従軍慰安婦」の渡航は、軍の証明書で行うようにとの外務大臣の指示が出され、軍の証明書のみによることになった。

2 以上のように、「従軍慰安婦」制度は国家・軍という被告の公務員あるいは総体としての公務員によって作られ、かつ管理、運営されたものである。

 その慰安所での実態は、慰安婦として「慰安所」に監禁された女性に対する組織的、系統的に行われた強姦・輪姦の連続といえるものである。とりわけ、慰安婦にさせられた植民地の朝鮮人女性は、次のような特別の犠牲を強いられた。

(1)女性差別
 奴隷的拘束の下、軍が制度的に継続的に性交を強制した「従軍慰安婦」制度は、性の自由を奪う強姦というべきもので、女性の人格的価値を否定し、人間の尊厳を侵す行為である。
 このように、国家・軍が「従軍慰安婦」制度を自ら推進し、また、これにかかわった多くの業者、将兵もこれに追随した背景には、単に国家目的の最優先、戦争至上主義にとどまらず、女性および女性の「性」に対する抜きがたい差別が存するのである。
 ここには、男性の性に奉仕する「モノ」としての女性観、抑圧の捌け口としての性行為観が明瞭にあらわれている。「従軍慰安婦」制度は、現在にも残存する性差別をあからさまな形で具現化したものである。「慰安婦」制度のもつ性差別としての問題性は、慰安所への徴集に際して、暴行・脅迫を伴なわない場合、あるいは「慰安」行為に対して対価が支払われる場合であっても、同じである。

(2)民族差別
「従軍慰安婦」として徴集された女性のうち、朝鮮人女性の割合は、ある推算によると八割を占めるといわれ、公表された公文書によっても、日本人に比べて朝鮮人の数が圧倒的に多いことが明らかになっている。強固な儒教思想に基づく女性に対する貞操観念が厳格な朝鮮の元「従軍慰安婦」にとって、その「慰安」の強要が彼女ら及びその親族に与えた恥辱の程度は、現代日本の性風俗の尺度では到底測り得ないものである。
 1905年の韓国保護条約、1910年の日韓併合条約以来の植民地支配の中で、日本は、朝鮮の独立運動に対して徹底的な武力弾圧を加え、いわゆる皇民化政策により、朝鮮人からその民族性を奪い、戦争の長期化に伴なう人的資源の不足を補うため、軍人・軍属、軍需産業労働者として強制的に狩り出した。朝鮮人女性を「慰安婦」として狩り出したのも、このような植民地支配の下での朝鮮民族差別の一環としてなされたものである。

Ⅱ日本政府の対応
 政府は、戦争末期および敗戦直後に、慰安所関係の文書の焼却命令を出して証拠隠滅を図り、その後も戦後40年以上にわたって何ら調査すらしないまま放置し続けてきた。
 日本政府は、1990年6月、「従軍慰安婦」問題が国会で取り上げられた際にも、「民間の業者が連れ歩いたにすぎない」と関与を否定する答弁をなし、実態調査も拒否した。1991年4月、「慰安婦」とみられる者の名簿が見つかったが、「当時の関係者からの事情聴取をしたが、関与していなかった。調査すべく努力したが手掛かりがない」と、あいかわらず十分な調査もしないまま国の責任を否定するに終始した。
 1992年1月、軍の関与を示す文書が発見されるに至り、ようやく関与の事実を認め、首相が訪韓時に謝罪の言葉を述べたが、補償については日韓条約で解決済みとの態度を崩さなかった。また、同年7月には、国の関与を示す文書をようやく公表したものの、強制行為については、「これを裏付ける資料はない」とした。
 1993年8月4日、政府は、第二次報告書を発表し、「総じて強制であった」と認めた。さらに日本政府は、1994年1月28日、女子差別撤廃委員会において、女子差別撤廃条約の実施状況に関する日本政府の報告審議における同委員会委員からの本問題に対する早期解決を求める指摘に対し、「日本政府は、この問題について1991年12月から調査を開始し、1993年8月4日には、調査結果を発表しました。そこでは、肉体的にも精神的にも苦しみを受けてきた、こうした慰安婦の女性達に謝罪しました。従軍慰安婦問題については、日本政府は、これまでサンフランシスコ条約や関連する条約に従い、誠実に対応してきましたが、問題の性格上、どうしたらこのような自責と謝罪の気持を表せるのか、真剣に考えております。」と回答をなした。その真剣に考えたとされる結果として、日本政府が提示した民間基金については、元「従軍慰安婦」の被害者の多くが、日本国の法的責任を回避する欺瞞であるとして、これを拒否している。

「甘利辞任の後任大臣候補に石原伸晃氏」で思い出した自民党杉並区議の「税金でパーティ券」


 収賄の疑いが濃厚にただよう甘利明経済再生担当大臣が大臣の職を辞めることを発表した。大臣の地位にいながら「説明」するだけではすまないほど事態が深刻であることを物語っている。かりに刑事責任を問われるような話であれば議員辞職は当然だろう。

 報道によれば、甘利氏の経済再生担当大臣辞任にともなう後任大臣候補には、東京8区の石原伸晃自民党衆議院議員の名があがっているという。
 
 石原氏の名をみて、2009年夏以来、杉並区議会議長から答えをもらっていない問題があることを思い出した。当時、区議の政務調査費(現政務活動費)について調査していた本誌記者は、自民党議員が大量の政治資金パーティ券を政調費から支出していることを発見した。その多くは、石原伸晃氏の資金管理団体「石原伸晃の会」や石原氏が代表をする政党支部「自民党東京支部連合会」が主催する政治資金パーティや催しのものだった。

 杉並区の税金から払われた石原氏のパーティ券は、2003年から2006年にかけて延べ24件、計34万4000円にのぼる。

 これを問題にしたのは2009年夏。おりしも衆議院選挙の直前だった。『週刊金曜日』や『フライデー』『マイニュースジャパン』で報じた。記者はまた、これらのパーティ券代は違法な支出だとして返還を求める住民監査請求も申し立てた。

 投票まで数日にせまったある日、記者は区議会議長の富本卓氏を同氏の事務所前で取材した。政務調査費に関する調査権限を託されているという責任ある立場にあったからだ。富本氏は石原伸晃氏の公設秘書を務めた経験がある。

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 – 政務調査費でパーティ券を購入することには問題ないという認識ですか。

 記者の質問に富本氏は次のように答えた。

「なかなか政務調査費は難しい問題がある。いろいろ監査の結果をみながら、皆様のご指摘も参考にしながらね、議会としても考えていきたい。結果をみないとわれわれも判断できない。これから選挙が落ち着いたら回答します」

 結局、監査結果がでるまでもなく富本氏ら自民党の議員は、問題が指摘されていた支出をすべて取り消した。選挙は石原氏が僅差で対抗馬の保坂展人候補をやぶって当選した。そしてそれきり、富本氏から「政務調査費でパー券」について説明がなされることはなかった。

 なお、公明党の3議員だけは、山田宏区長(当時)のパーティ券を政務調査費で支出しながら、住民監査請求中も返還しなかった。おどろいたことに監査はこの支出を妥当と判断。さらには東京地裁での住民訴訟でも「問題なし」との判決がでた。これは監査も判決もまちがっているというほかない。

 さすがに区議会もパーティ券の支出はまずいと判断したのか。使途基準で明確に禁止を明文化した。

 ともあれ、議員が政務調査費(活動費)で政治資金パーティ券を購入していたことについてどう考えるのか。当時の富本議長からの説明はいまだないので、この機会にあらためて求めることにしたい。
   
 もっとも、石原氏はTPPに反対の意見をもっていたと聞く。安倍首相の意向に反してTPPを白紙に戻す覚悟があるのかどうか、しばらく観察したい。

「区政報告」に按分は不要ーー「政務活動費で自民党の宣伝ビラ」に対して自民党8議員から回答届く


 

 さる1月8日の本誌記事〈自民党杉並区議会議員が政務活動費で”宣伝ビラ”大量印刷/「杉並区議会自由民主党 私たちは杉並区の専門家です」〉に対してさる19日、自民党杉並区議団のうち関係のある8人から回答があった。

 議員が制作・配布するビラには政務活動費では使えない政治・選挙・政党活動の部分が必ず含まれる。だから按分すべきであり、今回のビラを個別にみたところせいぜい政務活動費は4分の1程度だろうーーという趣旨のことを記事では指摘した。これに対して、自民党区議8人は、「全員が日々誇りを持って活動をしています。あくまで紙面ではその『報告』をさせて頂いているに過ぎない」などとして「按分の必要はないと考えるものです」と回答した。

 政治・選挙・政党活動と政務活動を混同すべきではないという指摘をしたつもりだが、以下の回答をみるかぎりそういう認識はなさそうだ。

 追って質問をあらためておこない、見解をただしたい。

 【自民党杉並区議団のうち8名からの回答】
 

 三宅勝久様に対する回答
 この度、ご指摘を頂いた「2014年度政務活動費」に関する件についてお答え致します。

 平成27年1月に発行致しました会派報告につきましては、内容は全て政務活動に関する記事であり、私どもとしては按分の必要はないと考えるものです。

 貴殿のブログ(杉並ジャーナル)では

1、 面積の約半分が議員らの写真や名前、「自由民主党」の大文字で占められている。名前や写真を広く区民に知らせることが「政務活動」というのは苦しい。

2、自民党議員の実績を自画自賛する内容ばかりで、宣伝色が強い。

と主に2点の指摘をされています。

1について

 表面の「杉並区議会自由民主党」は紙面の構成上、特筆して誇張していると捉えるには至らないと考えます。かつ、貴殿は「自民党の宣伝」と指摘されていますが、これは政党名ではなく会派名です。
 また、裏面において「区政へのご意見・ご要望をお聞かせください」と明記しているからこそ、
その担い手となる私たち会派所属議員の顔写真、連絡先等を分かりやすく掲載することは、より丁寧に区民の皆さんに寄り添っているものであり、指摘のような不自然には決してあたらないものと理解しています。
 更に、平成25年及び同26年の監査結果の中で「区政報告にどのような内容を記載するかは、会派・議員の自律性に委ねられるものであり、写真や区議会報告が中心であっても区政に
関する調査研究との関係が推認できれば、作成枚数、単価等まで明示されていなくても、使途基準細目等に則して処理されていれば妥当なものと判断する」とあります。
 以上の理由から、貴殿の指摘はあたらないものと認識する次第です。

2について

 自画自賛かどうかは、読み手の感性によるものであると考えます。敢えて言うのであれば、
私どもは決して自画自賛をしているわけではなく、地元に密着した区議会議員として、所属会派
全員が日々誇りを持って活動をしています。あくまで紙面ではその「報告」をさせて頂いているに
過ぎないものであります。

 以上、回答させて頂きます。

 平成28年1月19日
小泉、富本、葉梨、大熊、吉田、脇坂、今井、大和田

「桃2小早期建て替え」やらせ要望書に元国会議員関与か


 築わずか10年の杉並区営あんさんぶる荻窪を財務省に譲渡し、それにともなって学童用の施設が不足するという理由で桃井第2小学校まで建て替えるという意味不明の事業をめぐり、地元町内会長7人の連名(のちに2人は取り下げ)による「早期建替え」を求める要望書が区に提出されているが、この要望書の文案を受取人の区自身がつくっていたことが判明、「やらせ」の疑いが濃厚となっている。

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「桃2小学校を建て替えてほしい」――地元町内会の「要望書」は杉並区の“やらせ”だった?

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 このやらせ要望書問題の経緯について区企画課に取材したところ、さらなる疑問が浮上した。「要望書の案は区が作成した」と認めたうえで、そのきっかけについて「荻窪地区町会連合会会長から要望があり、文案をつくった」ことを明らかにした。企画課によれば、本文部分だけでなく、7町内会長の氏名・肩書部分も区が作成したという。

 杉並区に「要望書案」の作成を要請した連合会長は、元民社党衆議院議員の藤原哲太郎氏であることも企画課は明らかにした。藤原氏から区に対して、いつ、どういう内容の「要請」がなされたのか、企画課にただしたが即答できなかった。後日回答するという。

 ともあれ、連合会長ひとりの要請に対して、杉並区は、ほかの町内会長らには無断で7人連名の要望書案をつくった可能性がたかい。区に提出する要望書を区がつくること自体「やらせ」だが、要望する意思が不明確な町内会長の肩書・名前まで、本人や各町会に無断で「要望書案」のなかに杉並区は書きこんでいたのだ。住民の人格や町会の自治を愚弄した行為だというほかない。

 要望書に捺印した7町内会長のう2人は、後にそれぞれの町会にはかって取り下げた。そのひとりは、回覧板のように要望書がまわってきたので軽くかんがえて捺印してしまったと本誌記者に証言した。要望についてまったく知らされていなかった事実を雄弁にものがたる。

 

「阿佐ヶ谷地域区民センター」を杉並区が東電に無償で明け渡す不可解


 杉並第1小学校(阿佐ヶ谷北)を複合施設(地上4階+屋上運動場案と地上8階+地上運動場案)に建て替える計画は、保護者の間からも疑問が噴出している。23日に同校で開催された保護者対象の説明会では、「耐震工事をしたばかりなのになぜ建て替える必要があるのか」「なぜ複合施設なのか」といった疑問が次々にだされた。区側は「老朽化」「補修に費用がかかる。コスト面から判断した」などと説明した。しかし、ぬぐいがたい疑問は残る。

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 老朽化は事実としても、耐震性に問題がないことはすでに明らかになっている。また、コストについては、閉会後、本誌記者が学校整備担当部長をただしたところ、具体的なコスト計算を行っていないと答えた。説明会では、区営阿佐ヶ谷地域区民センター(阿佐ヶ谷南)を現在地(阿佐ヶ谷南)から杉一の複合施設に引っ越しする理由として、東京電力から借りている現在の同地域区民センターを退去する必要がある旨地域課長が説明した。

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 しかし、これも閉会後同課長に質問したところ、同地域区民センターの貸し主である東京電力から退去の要求がだされた事実はないむね明言した。

 地域課長の説明によれば、現在の阿佐ヶ谷地域区民センターは、土地が民間の所有で、建物は東京電力の所有となっている。そして杉並区は東京電力から「建物賃貸借契約」によって建物を賃借しているという関係にある。情報公開請求で確認したところでは、賃料は月額539万9800円。借りている物件をなぜ出て行かねばならないのか。地域課長によれば、「老朽化が進んでいるため東京電力にたいして建て替えてほしいと要望したが断られた。そう聞いている」というのが退去の理由だという。

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 ところが、これが事実とすれば奇妙というほかない。借主である杉並区が大家にあたる東京電力に「建物が古いから新築してくれ」などということ自体、常識ではありえない話だ。耐震に問題があったり不具合があれば東京電力に補修義務がある。もし、東京電力が「建物を明け渡してほしい」といってくれば、当然借主の権利として退去費用を要求できる。そもそも東京電力の土地ではなく、東電も地主から借りているのだから、東電から杉並区に対して出て行ってくれということは、地主が再開発したいなどといった事情がないかぎりあり得ない。

 もっとも月額500万円の賃料がもったいないという判断もありえる。しかし、複合施設にいくらかかるかもわからないといっている。コスト計算も前述したとおりしていない。

 杉並区は大家の東電から「出て行ってほしい」といわれるまで現在の阿佐ヶ谷地域区民センターを使うことができる。わざわざ出ていかねばならない理由はないし、自ら出ていく利点はなにもない。

「老朽化」を口実に退去費用ゼロで賃借物件を出ていき、「あたらしい場所が必要だ」といって何十億円かかるかわからない建物を狭い小学校のなかに建てようとする。不可解というほかない。

 読者からの情報提供をお待ちする。

 

 

「桃2小学校を建て替えてほしい」――地元町内会の「要望書」は杉並区の“やらせ”だった?


 2004年に約30億円をかけて建設したばかりの杉並区営施設「あんさんぶる荻窪」(杉並区荻窪)を財務省に税務署用として譲渡、対価として現在の荻窪税務署の用地を受け取ったうえで、あらたに30億円をかけて複合施設を建設。同時に「あんさんぶる」内にある児童館が使えなくなることの取り繕いとして、区立桃2小学校の校舎を30億円をかけて建て替えて「学童クラブ」をつくる。--いきあたりばったりの税金垂れ流し計画というほかない「財産交換問題」をめぐって周辺住民からは強い反対の声があがっている。23日に開かれた住民集会には100人以上(注・訂正しました)がつめかけ、計画撤回を求める意見があいついだ。

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 「あんさんぶる荻窪」は子どもの教育環境を向上させようという意見を中心に、住民らが長年の議論を経て練り上げた思い入れのある建物だ。それを築10年ほどで税務署に明け渡すことに、子育て中の親をはじめとする周辺住民は強い違和感を感じている。

 なぜ「あんさんぶる」を手放さねばならないのか。杉並区の説明は「特養施設を緊急につくる必要がある」である。しかし、この説明は説得力を失いつつある。「財産交換」計画が公表される3年前の2010年に、じつは財務省にあてて田中区長が「税務署の建て替えを待ってほしい旨要望していた事実が発覚したのだ。

201012杉並区長発文書 001

 この要望文書について本誌記者が区企画課に問い合わせたところ、おどろいたことに「廃棄した」と説明した。さらには「どんな要望だったか内容もわからない」とも説明をした。奇妙というほかない反応で、じつは「特養」は口実にすぎず、都合の悪いことを隠しているのではないかと疑わざるを得なくなった。

 荻窪駅北側に複合ビルを建てて税務署に入居してもらう腹づもりで財務省に対して税務署建替えに待ったをかけたものの、じっさいにやろうとするととん挫した。ひっこみがつかなくなってあんさんぶる荻窪を財務省に提供し、現在の税務署の場所にあんさんぶるを引っ越しさせ、ついでに残りの土地に「特養」を民間でつくらせるという強引な案をひねり出したのではないか。――というのが事情通のもっぱらの見かただ。

 さて、日ましにうさんくささが増す「あんさんぶる」問題だが、あらたに重大な疑問がでてきた。〈桃井第2小学校の早期改築」に関する要望書〉という文書が、荻窪駅周辺7町内会会長の連名によって2014年7月26日付で杉並区に提出されているのだが(のちに一部取り下げ)、町内会関係者によればこの要望書は杉並区が作成し、町内会長を回覧して会長のハンコを集めた代物だったというのだ。
 
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 当時町内会長だった男性は、「文書が回覧されてきたので、校舎があたらしくなるならいいだろうとハンコをついた。区が作った文書だった。よく読むとあんさんぶる荻窪の財産交換(財務省への譲渡)に伴う話だったので、これはいけないと町内会にはかり、要望を撤回した」と話した。

 桃2小学校を建て替えてほしいと地元の要望があるかのように工作をしたとすれば、文字どおり「やらせ」である。「5つ星の区役所」どころではない。うそつきの区役所である。

 追って杉並区の見解を取材し、報告したい。