凶暴罪を葬るための応援歌

 戦後史上最悪の”凶暴”罪が民意を無視して押し付けられる(成立などという言葉は使いたくありません)--寸前です。これを止める、あるいは万が一押し付けられたとしてもそれを再び投げ返す(廃止)するために必要なのは団結と勇気とパワーだよなあ・・と考えていたら、歌ができました。

「アベはおわり」(ほたるの光の節で)

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ほたるの光 アベはおわり
悪事がまるみえ アベはおわり
支持率底上げ アベはおわり
見放されている アベはおわり 


やまかけモリトモ アベはおわり
寿司友ともども アベはおわり
うそつき居直り アベはおわり
そこから出てゆけ アベはおわり

競争社会の弱点

 森友、加計、安倍友「山口」の準強姦もみ消し事件--戦後日本の常識であれば、とっくに安倍政権はふっとんでいなければならない状況にもかかわらず、いまだに権力の座に居座り続け、共謀罪を強引に成立させようとしている。

 安倍内閣の退陣を望む声は日増しに高くなっている。しかし、舛添都知事がやめたときの大騒ぎを思い出してほしい。あのとき巻き起こった批判の嵐にくらべれば、いまの批判の合唱の音量ははるかに小さい。おきていることの重大さは、舛添氏の100倍はあろうというのにである。

 これはなぜか。いまひとつ大きな力になりきらないのはどうしてなのか。いいかえれば、克服すべき課題はなんなのか。

 私は、この社会が持つ「差別」と「競争」に大きな原因があるように思う。

 他人を見下し、あるいは見下される「差別」、そして常に追い立てられる競争社会と意識。この、おそらくは人類がもともともっておらず、教育によって後天的に身についた思考原理によって、大きな社会の危機、人類存続の危機といってもよいような状況を前にしてもなお、最善の行動と判断ができないでいるのではないだろうか。

 マスコミについてもしかり。競争は必ずしも報道記事の水準をあげてはいない。最近の状況をみると、むしろ低下させているように感じる。他人の成功を素直に喜べるような業界、だれでも差別なく参入し、互いに高めあっていけるような業界であれば、安倍政権ごとき、とっくに影も形もなくなっているにちがいない。