メディアの衰退は読者の衰退でもある

 文科省の天下りあっせん問題が大メディアを騒がせているので、ちょうどよいと思って『マイニュースジャパン』に書いた記事

〈文科省天下り先の設計会社・教育施設研究所が、杉並区小中一貫校建設の地質調査報告書を改ざん――甘い基準でボーリングを手抜き、高層なのに中低層と偽る〉

 に対する反響の乏しさはいささかがっかりだが、興味深い社会観察の機会でもある。

 もともと「杉並」という言葉が、「地方」を連想させるのか、雑誌の編集者はなかなか触手を動かさない。『マイニュース・・』は零細経営だが、硬派で大メディアの取り上げないテーマをつぎつぎに発表してきた。自衛隊の虐待しかり、武富士しかり。

「東進」の闇を告発して、現在言論弾圧的な訴訟を起こされ、たたかっている。

 とはいえなんでも書けるわけではない。原稿料を払いながら経営するには、読者にカネをはらってもらう必要がある。必然としてある程度市場での商品価値があるネタを求める。残念ながら「杉並」の市場での商品価値は低い。

 今回発表した高円寺一貫校の問題も、「たぶん反応は低調だ」との予測のもと、最初は掲載に躊躇があった。ちょうどそこに文科省天下り問題がおきた。これはいけるぞと編集長をくどき、陽の目を見た。

「文科省」「天下り」が全国ニュースになっているのだから、同じ天下りが絡むこちらの問題にも注目が集まるにちがいない。

 ーーこの見通しは残念ながらはずれた。読者の反応は鈍い。感想もほとんどこない。いまのメディア市場のなかでは「面白くない」ということなのだろうか。それならそれで、そうした反応がほしい。

 いちばんこたえるのは無反応である。これでは、どうしても書き手としては気持ちがのらないし、良い取材もできない。続報を売り込もうとしても編集者は躊躇するだろう。非力を棚にあげてぼやきたくなる。

 新聞などの記者クラブ系主流大マスコミが追えば盛り上がること必至だ。だが大マスコミは現在のところ見向きもしない。

 記者クラブ系大マスコミの今回の文科省批判報道の本質が、じつは「天下り」自体にあるのではないことがこの光景から読み取れる。内閣府という権力が「文科省の天下りはケシカラン」と言ったことがニュースなのだ。

 読者もそういうニュースの作られ方に慣れてしまったのか。あるいは筆者の頭が古くなったのか。

 ところで。日本は「メダカ社会」だとはジャーナリスト・本多勝一氏の言葉だ。周囲がやるように行動するという無思考社会は、つい100年足らず前、おぞましい破滅を招いた。

 満員電車の中でひたすらゲームにふける感覚と、カネもうけと出世だけが幸せの道だと信じて上司の言いなりになってひたすら働く感覚は、米国の首領にありったけの貢物をして自分を認めてもらおうとする首相や防衛大臣の感覚につながり、さらにはかつて、中国侵略に駆りだされ、強姦強盗殺人放火と乱暴の限りをつくした兵隊たちの感覚とも、じつはそうちがわないものなのかもしれない。

 戦闘機が頭上を飛んでいても誰も気にしなくなった杉並の町を行きながらそんなことをふと思った。
 

(内戦中のアンゴラ。破壊された学校の前でポーズをとる子どもたち。1993年)
 

 

高円寺小中一貫校の設計図を「開示できない」謎

 杉並区営繕課によれば、虚偽のボーリング報告を行った(株)教育施設研究所の実施設計図は「東京都の建築確認が下りていない」ために公開できないという。

 それはおかしいのではないか、と疑問を持った筆者は、昨日、区に対してこの設計図の情報開示を求める手続きを行った。仮に不開示決定がだされたとすれば、その理由をみたうえで不服申立なり裁判なりで争うことを考えている。

 さて、手続きを終えて帰宅し、住民の方に貸していただいた東京都の安全条例の審査決定文書をめくっていたところ、あきれた事実を発見した。くだんの設計図の一部が添付されているのだ。

 営繕課が「開示できない」といったのは根拠薄弱であることがはっきりした。公開請求に対していったいどんな結論をだしてくるのか、楽しみである。