パナマで考えたこと

 1989年12月20日。クリスマスを目前にしたこの日の未明、中米パナマに2万5000人もの米軍兵士が予告なしに急襲し、国防軍兵士や警察官、一般市民多数を殺害する事件が起きました。死者数は米軍の公式発表では500人から600人ですが、じっさいには2000人以上にのぼるとの推計があります。
 
 親米政権のもと、長らく事件にフタがされてきましたが、ようやく昨年、政府が真相究明委員会をつくり、実態調査にのりだしました。焦点のひとつは死者数の再調査。秘密墓地がいくつもあるといわれています。今回私がパナマを訪問したのは、この事件の傷跡をたどるためでした。

 パナマ侵攻(侵略)は、冷戦終結後にアメリカがやったはじめての戦争でした。明白な国際法違反の侵略行為、無差別虐殺といってもいい蛮行で、国連は批判決議を採択します。しかし日本政府はこれに反対票を投じます。以後、日本は対米追従をエスカレートさせ、こんにちに至ります。

 日本は戦後平和だったとよくいわれますが、米軍の戦争に協力してきたのも事実です。パナマの事件についても、パナマ人が受けた痛みについて、日本政府、日本人には責任の一端があるように感じます。
 
 この事件後、パナマ国防軍は解体され、「民主主義」の名のもとに親米政権が置かれます。そして新自由主義がもちこまれ、公共部門がことごとく民営化されていきます。ところが皮肉なことに、12・20の侵略がナショナリズムを高揚させ、運河返還と米軍基地の撤退を1999年に実現します。

 アメリカ軍や欧米資本に翻弄されながらも独立と自己決定権を求めてあがいてきたこの国の人たちと話していると、日本社会のゆがみがよく見える気がします。いつまでも米軍基地を抱え、出て行ってもらおうと努力するどころか、金を貢ぎ続ける政治家や官僚が、「保守」「右翼」として位置づけられているというのは、ちょっとうまく説明できないし、理解してもらえません。

 辺野古や高江の米軍基地闘争にかかわっている人たちを「愛国者」と位置づけてはじめて、パナマ人に「アメリカは日本でもひどいことをやっているのだな。日本人も戦っているのだな」と共感を得られます。

 米軍の軍用機が首都上空を自由に飛べる日本というのは、国際標準の表現で「米国の植民地」といってよいでしょう。アメリカから属国扱いされているパナマでも、そんなことはあり得ません。自衛隊に「愛国」を感じたがる方もいらっしゃいますが、残念ながら、日本を経済的・軍事的に支配するアメリカの傀儡軍というのが実態でしょう。この厳しい現実をありのままに理解することが、「普通の国」に向かう第一歩ではないでしょうか。