宇都宮健児氏の器

 東京都知事選の投票まで1週間となった。自民党員で日本会議メンバーという極端な右翼思想を持つ元防衛大臣・小池百合子氏、自公推薦の元東電社外取締役・増田寛也候補、そして、自民党政権による憲法「改正」反対と原発反対、福祉・教育重視を訴える野党統一で推すジャーナリスト・鳥越俊太郎候補ーーの3候補が接戦を展開しているとみられる。

 選挙は立候補したなかからよりマシな選択をするしかない。気に入った候補がいないから投票しないという判断も「白紙委任」というひとつの選択である。筆者は、自分の暮らしを守るためにはどの候補に入れるのが最も賢明か、と限りなく利己的に考え、鳥越候補に入れるのがよいと判断している。

 理由は2つ。

 1・当選可能性があるということ

 2・他の2候補にくらべて政策がもっとも「お得」であるということ。

 鳥越氏の「女性スキャンダル」が週刊誌で報じられたようだが、この際、そんなことは上の判断に影響はない。地震や火山活動が活発化するなかで原発を進め、憲法を破壊し、戦争に巻き込もうとする勢力が勢いをましている。沖縄で現在おきていることをみればわかるとおり、安倍政権は暴力的で独裁的なその本質をあらわにしはじめている。多くの市民にとって危険な状況が迫っている。そのなかで本当に生きのびようと考えるならば鳥越氏がもっともマシであることにかわりはない。

 鳥越氏という当選可能性のある野党統一候補をつくれたことは、修羅場のなかで重要な避難路が一瞬開かれたようなものだ。

 いかに政治に無関心であろうが政治と無関係でいられないとは山本太郎参議院議員(生活の党)の言葉だが、あらゆる人間の行動もまた政治的だ。どの候補も支援しないという立場をとるとすれば、それはそれでひとつの政治的姿勢であって、誰かを支えていることになる。

 元日弁連会長の宇都宮健児氏は告示直前に立候補を取りやめた。この行動自体は鳥越俊太郎候補に対する決定的な支援となった。しかし選挙がはじまると宇都宮氏は鳥越候補の応援に入らず、どの候補を支持するかを明言していない。こうした行動は、筆者の目にはたいへん奇異にうつる。

 バーニーサンダースという民主党の大統領候補がいる。彼は予備選の段階でヒラリークリントンを激しく批判してきたが、ヒラリークリントンが指名されればヒラリーを支持するとも明言してきた。サンダースが仮に、支持するともしないとものらりくらりしながら、じつはヒラリーを支持するというあいまいな態度をとったとすれば、そのあいまいさに対して厳しい批判がなされただろう。

 立候補取り下げという格好でいったん鳥越氏を支援しながら、その当選にむけて簡単にできること(発言)すらやらないのは、政治的な言動に一貫性がないようにみえる。宇都宮氏が主張していた政策方針ともっとも親和性があるのは鳥越候補をのぞいていないのだから、鳥越氏を支持しない理由がわからない。鳥越氏を支援しないのであれば、その点を説明する責任が政治家としてある。

 自民党所属の日本会議候補や自公推薦候補が当選してもかまわない。僕は知らない。野党が僕を推さなかったのはまちがいだーー

 仮にそれがこの都知事選における宇都宮氏や支持者の考えであり、鳥越氏を応援しない理由だとすれば、自公を批判しているようにみえて、結局はほかでもない自公候補を支援していることになる。自公候補を推すことが悪いとはいわない。自由である。だがそうであればその旨はっきりと説明し、表明すべきである。

 鳥越候補を支持する言動を宇都宮氏が最後までとらないとすれば、残念ではあるが、東京都民や日本市民の生活や命、将来よりも自分の出世や名声を重んじる俗物だったーーそう評価せざるを得なくなるだろう。

 残り1週間、宇都宮氏の言動をみまもっていきたい。

 

「短距離走ではない。マラソンだ」非暴力運動の歴史/南アフリカ・ポートエリザベスの不買運動

 カウンターパンチから「非暴力運動の歴史/南アフリカ・ポートエリザベスの不買運動」という記事を翻訳して紹介したい。まちがい等あるかもしれませんが、ご容赦ください。ご教授いただけると光栄です。

〈非暴力運動の歴史/南アフリカ・ポートエリザベスの不買運動〉

リベラ=サン(Rivera Sun)

http://www.counterpunch.org/2016/07/22/nonviolent-history-south-africas-port-elizabeth-boycott/
 1985年7月15日、南アフリカ・ポートエリザベスのタウンシップ(黒人居住区)の住民が、アパルトヘイト(人種隔離政策)の正当性を切り崩すため、白人の経営する商売のボイコット(不買)運動をはじめた。女性グループが不買運動を提案し、完全に実行した。

 不買運動をはじめて5日もしないうちに、国会議員たちは気がついた。反アパルトヘイト闘争において経済的なボイコットがもっとも効果的な武器であると。運動は、公的機関に対して差別撤廃を要求した。黒人居住区からの軍撤退や労働現場における差別をやめるよう求めた。

 ボイコット運動の結果、白人経営の商店がたちまち閉店に追い込まれた
。政府は緊急事態宣言を行い、戒厳令を敷き、何千人も逮捕し、移動を禁止し、南ア軍を派遣して黒人居住区を占領した。

 11月までに白人の商店主たちは困り果てて、政府に要求をした、運動は取り引きをした。

 指導者たちを牢獄から釈放するなら3月までにボイコットをやめる。

 クリスマスが近づいており、不買を続けるのは難しいことを運動体は知っていた。双方が合意し、指導者たちは釈放され、不買運動は2、3ヶ月の間中止された。

 1986年。運動体は南アの白人たちに対して、当初の要求が履行されないなら不買運動を再開すると告げた。この警告を政府は無視した。4月1日、不買運動が再開された。

「われわれの購買力が、この国の将来とわれわれの運命を決定するカギになる」

 若い指導者ムクセリ=ジャック(Mkuhseli Jack)はこう言って不買運動をもりあげた。

 9週間の不買運動の末、1986年6月12日、政府は再び非常事態宣言を発令した。官憲が展開し、何人もの南アフリカ人が刑務所に入れられた。いくつもの黒人居住区が再び軍事占領された。弾圧がはげしくなり、反アパルトヘイト運動組織は地下にもぐり、不買運動は終わった。

 つぎの10年間は、コミュニティーの組織化が進み、建設的な計画が練られ、非協力という戦略が考案された。当局の弾圧が増したが、地域と連携した国際的な不買運動に発展した。座り込み、行進、公共の場所や建物に新しい名前をつける、ーーさまざまな非暴力的な手段がつかわれた。

 1989年、ケープタウン、ヨハネスブルグ、ダーバンなど南ア中で行われた多民族の権利を守る平和行進が行われた。抵抗運動は最高潮をむかえた。

 闘争の場は交渉のテーブルに移り、アパルトヘイト撤廃と和解をめざす民主的な手続きが試みられはじめた。

 ポートエリザベスの不買運動は、非暴力の方法で南アの白人に対して強力な経済制裁を実行した。この南アの長年にわたる反アパルトヘイト闘争の一断面は、見通しと、輪と、継続こそが変化を勝ち取るのだと私たちに教えてくれる。

短距離走ではない。マラソンだ。一歩一歩進んでいくのである。

リベラ=サン
非暴力運動に関する記事を多数発表している
著書に『たんぽぽの反乱』(The Dandelion Insurrection)
http://www.riverasun.com/online-store/the-dandelion-insurrection/