日本はなぜ「戦争のできる国」になったのか

CIMG0413 新宿・紀伊國屋書店に立ち寄った際、矢部宏浩著『日本はなぜ戦争のできる国」になったのか』(集英社インターナショナル刊、1200円)という本が目にとまり、買って一気に読んだ。

 そして打ちのめされたような気持ちに襲われた。日本という社会が、私もふくめた日本市民というのが、とことんアメリカ(軍)の支配に置かれている。その現実をまざまざと見せつけられた思いである。

 表向きこそ独立国であり、民主的な社会のようにみえても、じつはそうではない。数々の密約によって憲法も法も超えた力が支配している。日米合同委員会という米軍幹部と日本の官僚らによる密室会議で日本の根幹にかかわることがきめられている。

 ある程度は想像していたものの、その動かしがたい数々の証拠を、矢部氏の著書は詳細に浮き彫りにしている。

 自衛隊というのは米軍の指揮下でしか動けない。米軍の一部、あるいは米軍の傭兵なのだ。裁判所もアメリカが支配しているのとかわらない。仮に将来、憲法が破壊され、自由が失われ、いやおうなく戦争に刈り出されるようになったとしても、その戦争はアメリカの侵略戦争であり、民主社会の破壊も支配者アメリカの望みということになる。

 これではほとんど奴隷ではないか。

 独立などしていないのに、独立国のように振舞っていた。日本社会に蔓延する暗さと自信のなさは、そこに原因があったのか。

 わたしはそう考え、力が抜けるような気がした。

しかしこの厳しい現実のなかで生きるほかない。道はふたつ。奴隷の身に甘んじるか、それとも脱出をはかるのか。将来のために知恵をしぼり、たたかうのか。

 ノームチョムスキー氏が警告するように、核戦争と気象変動によって人類はかつてない生存の危機に直面している。日本がアメリカ軍の手先となり、あるいは一部となって戦争をすることで、大規模核戦争に発展して、人類を破滅に追いやるかもしれない。ことは日本だけの話ではない。

 参院選が近づいている。有権者の責任は大きい。米軍とアメリカの傀儡政権に対峙する独立のためのたたかいであると同時に、人類を救うたたかいでもある。