「記憶の川で」

「記憶の川で」

忘却という言葉さえ
それは在ったということを消しようのない
証しとなる
生きて暮らしてそれを忘れたい
心のかたすみのくらいところで
そんなことがささやかれるときも
思い出として残る事象の
ずっしりとした手ごたえに圧倒される
人はいつも
忘れたいと願うことや
覚えておきたいと願う記憶の川を下って
流れの元は忘れていない
それを暖める故に
あるとき
ふっと忘れてかるくなりたいと思ったり
折り重なる思い出の上に豊かになりたいと思ったりするのだ
自己の変革を企てても
うまく成し遂げたと
自ら喝采することのできないことを
知りつくしている
さびしい生きもの

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より 

「政治とカネに関する調査」ワークショップの感想

先日、杉並区の市民有志の声がけで「政治とカネ」についてどのように調査するか、ワークショップのようなことをやった。10人弱の参加者だったが、好評で有意義な催しだったと思う。わたしが取材経験で覚えたノウハウをひととおりつたえ、「落選運動を支援する会」の告発やデータベースを使って調査の仕方を「練習」するという具体案も提示した。

 政治資金収支報告書に関する総務省や東京都のHPも紹介した。

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/index.htmlhttp://www.senkyo.metro.tokyo.jp/organization/shuushihoukoku-syokan/
 講師料は無償である。会場費500円を免除してもらい、集金の残り500円をいただいた。

 あらためて驚いたことは、国民の権利とされる政治とカネの流れを透明化する制度が、じっさいにはほとんど知られていないという事実である。それも、ふだんの生活に関係がない市民ならまだしも、前区議会議員という密接にかかわりのある人ですら「知らなかった」と正直に告白した。

 「政治資金規正法違反疑惑」で大騒ぎとなった小沢一郎氏の事件や甘利明氏の贈収賄疑惑など、政治とカネをめぐる情報が身の回りにあふれていながら、じつは肝心の政治資金規正法の仕組みや同法によって勝ち取られている市民の知る権利がどういうものか、ほとんど理解されていない。それがいまの日本の実情なのだ。 

 いくら大きな権利とはいえ、つかわないでいれば、いずれさびつき、うばわれてしまう。いま目の前でおきている憲法破壊工作は、何十年にもわたって積み重ねられてきたいろいろな権利放棄と喪失の集大成ともいえる。

 会がおわって数日後、参加者のおひとり※から「面白かった。いろいろ転送したいので文章にまとめてもらえないか」と依頼があった。旅行を控えていて多忙なのでお断りした。断りながら、一抹の失望を禁じ得なかった。いくら講義を聞いても、参考文献を読んでも、実践にまさる訓練はない。だからわたしはその方にこういった。

「まずご自身で調べてみてください。落選運動を支援する会が告発している9件の事件について、それがどういう意味なのか、政治資金収支報告書をみながら裏取りしてみてください」

 彼が試行錯誤でやってみて、調査の技術を身につけてくれることを待っている。

 前区議に対しては、こちらから電話をかけて感想を求めた。「よかった」といいながら、しかし、自分で調査の練習をしてみる気はなさそうだった。「忙しい」とイライラした声で反応があった。

 じつは、前区議に電話をしたのは、いまブラジルでおきている大統領の弾劾事件について伝えたかったのだ。商業メディアによる大統領汚職のキャンペーンがなされ、それに乗る格好で超法規的に大統領を追い出す動きが急となっている。しかし、汚職を繰り返す商業メディアに対して、多くの市民が街路をうめ「テレビによるクーデターだ」と反対の声をあげている。なにがただしいのかわからない。情報戦の様を呈している。

http://www.pt.org.br/800-mil-vao-as-ruas-de-todo-o-brasil-pela-democracia-e-contra-o-golpe/
 わたしはこれをみて、小沢・鳩山民主党が大メディアのバッシングでほおむられたかつての様子を思い出した。ぜひ現在進行形のブラジルの「クーデター」を日本の問題にひきつけて考えてほしかった。小沢事件のとき、もし多くの市民が自分の目で政治資金収支報告書を点検し、調べる術を身につけていたら、もっと早く「おかしいぞ」という世論がでたはずだ。読者の無知があってこそ情報操作は成功する。

 だがそんなことを話す気はうせた。

 なるほど、忙しい。一方的に電話をかけたのだからしょうがない。その声を聞きながら「講師料10万円とればよかった」と後悔した。忙しいのはわたしも同じだ。その時間をつかって政治とカネの調べ方を話した。求めに応じてである。しかも500円。

 講師料10万円なら、カネをかけても知りたい人だけが来るだろうし、そこで知り得たことを身につけようと努力するだろう。カネのない人はカネをかけずとも調べられる別の方法がある。

 むつかしいことではない。

 もっとも、わたしがせめて政治資金の調べ方を実践して覚えてほしいと思ったのは、一般の参加者全員に対してではない。ただ「政治資金」の勉強をよびかけたのが前議員であれば、身につけていて当然の技術だろう。また「文章をまとめてほしい」と相談してきた方については、自分がやってみないことにはほかの人に伝えようがない。実践以上の「教科書」をわたしは知らない。

 そもそも、政治資金収支報告書の調べ方をいちいちわたしごときが説明しなければならないことそのものが、安倍政権の横暴に対する市民の力がいかに不足しているか雄弁にものたがっている。

 
※主催者についてあやまった記載がありました。お詫びのうえ訂正いたします。 

「装う」

「装う」

どんなに美しい人も醜い人も一様に
皮膚と肉をはぎとれば
骨になるように作ったことは
創造の神のせめてものつぐないではないのか
人は自らの産まれながらの美醜にかかわることを許されてはいない
そして
自らがかかわってもいない美醜を気にする知恵をもたされている
鼻がちょっと高いとか
目がきれいだとかきれいでないとか
なげいたり喜んだり
最も大きな役割をはたしている感覚は自在にはばたき
有ると名付けることの不可能な
皮膚の奥の奥に
不特定多数の競争相手をつくり
あるとき
悪魔になったり天使になったりする
自らを包んで
それぞれによそおいつづける

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より
      
 

「無」

 愛読者各位
 いつもご愛読ありがとうございます。
 恐縮ながら、4月いっぱい所要で休筆いたします。
 ハンセン病施設の大島青松園(香川県)に収容され、過酷な差別と隔離政策にほんろうされながら生涯をすごした塔和子さん(故人)の誌集『記憶の川』(編集工房ノア)をひさしぶりに手にとりました。しばらくの間、心に響く作品を紹介してきたいと思います。
 
 「無」

 手のひらをひらくとなんにもない
 無いことは無限に所有する可能性をもつことだ
 幸も
 不幸もこの手がつかむ
 いつも
 無にしていよう
 無にしている手の中へは宇宙の翼
 もっと大きな喜びが乗る
 私は無から生まれた
 だから無はふるさと
 いつもはじまるところ
 朝の光よ瞬間瞬間生の切り口よ天に吊るした希いよ
 私が
 手のひらをいつも無にしているのは
 あなた達のため
 ああそして
 私の手のひらは生きるよろこびでひとときふるえ
 すべてを無にして
 また差し出すのだ