『フィデル・カストローみずから語る革命家人生』より

 ーーキューバは、一種の〈医療大国〉になったのですね。

C(カストロ) まあ、その用語が適切かどうかわからないが、いま言えるのは、キューバには医師が7万人おり。別に2万5000人の若者が医学を学んでいるということだ。この点でキューバは人類史上、追随を許さない特別な地位を疑いなく占めている。誇張でも、口先だけのことでもない。
(中略)
・・・キューバは最大の医師養成国で、米国の10倍も医師を養成することができると思う。米国はキューバ人医師の半分を奪い去り、キューバを無医師国に陥らせようとしたが、我々の回答は、この医師の数の大きさだ。

ーー2005年の8月から9月にかけてハリケーン「カトリーナ」がニューオーリンズを破壊したとき、キューバは米国に医療援助をしたいと申し入れましたね。

C そうだ。1610人の医師を派遣したいと申し入れた。二番目のハリケーンが通過する前には、さらに多くの医師を派遣したいと提案した。彼らが行けば、多くの人名を救うことができたはずだ。だが米政府は面子のために、自国の市民が家々の屋根、誰も救出してくれない病院の屋上、競技場、避難所などで死んでいく方を選んだのだ。避難所では、溺死という最終的な悲劇を避けるためとして安楽死させられた者さえいた。
 これが、人権擁護者を自認する国の実態なのだ。これが1959年にキューバから医師をなくしてしまおうとした国なのだ。だが結局、医師がいなくなったのはこの国ではないか。医師が最も必要なときにいないのだ。・・

『フィデル・カストロ みずから語る革命家人生』(イグナシオ・ラモネ著、伊高浩昭訳、岩波書店上巻より)

「水」

「水」

鹿のように歩くこの柔軟な体
桃のようにまろやかな頬
いちごのようにぬれた唇
うるしのように澄んだ瞳を
保たせている水々しいいのち
水のない世界で人は住むことが出来ない
水は
あなたを思うこころでもあり
一椀の飯をたいた水であり
一皿のおかずを作った野菜であり
野菜と米を作った地の水であり
人は
水が涸れると花のようにしぼむ
けれども
水はあまりにも当然のように私に与え
私は知らぬうちに
それを受け取っているから
使いながらも
こうも水の存在を忘れている

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より

「球根」

「球根」

埋められた球根は
土と水と太陽にいざなわれて
のっぴきならないばくはつを遂げる
私はいま
私をとりまいている
土の手ざわり
水の手ざわり
陽の手ざわりをたしかめたしかめ
土の中にある球根
全部をかけて
花になるのを息をひそめて待つもの
どんなに
気をもんでももまなくても
来るだろうその日
私は
うまく咲くことが出来るか出来ないか
いらざる知恵にさいなまれ
いじくりすぎる
まがった球根

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より

「愁」

「愁」

すがれていく草花や
樹々の葉
このように静かにすがれていくことが出来るものなら
すがれてひっそりと在りたいと思う
けれども悪口を言われたら
突然生木のように立ち上がる怒りや
慕わしい人を見ればほんのりと紅潮する血潮
たまった原稿を見れば
新しい詩集へともやす焼けるような意欲
このどうしようもなく生ぐさいものが私なのだ
枯れたりすることが出来るものか
秋の視野をうらやましげに見る
けれども
俗にまみれた傷ましさを
そおっと手のひらにかこって
私は永劫かれることのできない
さびしさである

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より

自民党「政策活動費」の不可解

 ある方からの指摘できづいたことだが、自民党本部の支出のなかにある「政策活動費」というのが、事実上使途不明金になっているようだ。自民党国会議員に直接現金を支払い、そのまま最終的な使途がわからない。

 しかも金額がひとりあたり多い人で年間8億円〜数億円にのぼる。

例)2014年分自民党本部の支出(pdf=自民党本部分割ファイルのうち「支出1」)

 いまごろになって気づいた筆者も間抜けだが、なぜこんなことがまかりとおっているのか。この国の大メディアの権力監視力の乏しさをあらためて思い知らされる。

 大メディアがあてにならない以上。市井の市民による草の根の権力監視が重要である。読者のみなさまも、ぜひ一度「政策活動費」をご自身で調べてみていただきたい。自民党がいかに不可解なカネの使い方をしているかが実感できるはずだ。また、政治とカネをめぐるマスコミの報道の見え方もちがってくるであろう。

■総務省政治資金収支報告書のHP■2012年分政治資金収支報告書(総務省)
■2013年分政治資金収支報告書(総務省)
■2014年分政治資金収支報告書(総務省)

 上の各リンクから自民党本部→「支出1〜2」を探してみてください

「釣り糸」

「釣り糸」

電光のように魚が食いつく
このときこそ糸の私はぴいんと張り
ひたすら魚の意のおもむくところを追究する
広い海の中で出会ったたった一匹の魚と
釣り糸の偶発的な出会い
どんなに多くの魚がいようとも
糸の先につながる魚と
魚につながる糸とただ一点にしぼられ
いま在ることを互いに知らしめられる
魚が深く入れば糸も深く入り
逃げようとすれば
するすると老猾に糸ものび
もはや逃れることも逃すことも出来ない
関係になってしまったひとつの課題
やがて互いに疲れきり追い切って
海の面にひき上げられ
糸と魚の共存ははずされる

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より

「地球で」

「地球で」

この惑星の一つにすぎない地球で
そのほんのひとすみのことを知っているだけでも
生きているだけならことかかないのだ
書物からの知識やテレビやラジオの伝えるものを加えても
世界中の人がかなでる出来事にくらべたら
ほんのわずか
私は冬の日
カーテンをしめストーブをたき
冬場のへびのようにじいっとうずくまって
他人の視野の外側にいる
そんな自分を思うとき
人の知ることそれは
一本の樹が芽生えて古木になるまでに
知った世界にさえ
くらぶべくもないほど小さい

『記憶の川で』(塔和子、編集工房ノア)より