西側諸国の侵略と蛮行がもたらしたブリュッセルのテロ

 ベルギー・ブリュッセルの爆弾テロに関連して、カウンターパンチに興味ぶかい記事が掲載されている。抄訳を紹介したい。

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ブリュッセルの「ゼロサム」/テロに苦しむ世界を操る野蛮な思考

March 22, 2016
Zero-Sum in Brussels: the Savage Vision Driving a Terror-Ridden World

by Chris Floyd
http://www.counterpunch.org/2016/03/22/zero-sum-in-brussels-the-savage-vision-driving-a-terror-ridden-world/
 ベルギー・ブリュッセルの虐殺事件ーー恐ろしく犯罪的な虐殺は真空のなかで起きたのではない。理解不能・動機不明の悪意から生まれたわけではない。西側諸国が世界の多くの国で日常的に行っている残虐な暴力への反応としてこの事件は起きたのである。地球上でもっとも力があり繁栄した国々によるはるかに大規模で殺戮的な残虐行為が毎日のようになされている。この現実が正当化されてはならない。

 少数ムスリムによる暴力が「過激化」する主たる原因が自分たちの介入にある。このことを西側諸国は知っている。介入の目的は、豊かなエネルギー資源を経済的、政治的に支配し、また戦略的な拠点を得るためである。その国の人たちを宗教的迫害から「解放」するとか、世界を「より安全」にするとかいったこととは関係ない。支配、ただそれだけだ。

 何十年にもわたり、アメリカの例外主義者による「われわれが世界を軍事的・経済的に支配しなければ、だれかほかの者がやる」という議論がなされてきた。「ほかの者」とは、良心をもち神に祝福された自分たちよりもはるかに悪者という意味である。
 
 猛烈に原始的な世界観だが、アメリカ全土や同国の属国に一般的な政治風土である。人間社会に暴力的な支配は欠かせないという考え。支配するか、支配されるか。食べるか食べられるか。殺すか殺されるか。もし「我々」があらゆる手をつかって支配しなかったらほかのものが支配する。問題は誰が支配権をにぎるか。支配権を手にす入れ、維持するためならどんなに高くついてもかまわない。

 この考えが西側諸国の内政にどんな影響を与えているか。民主主義政治のなかで、自らの支配が脅かされていると感じている者があらわれ、ナショナリズムの広がりをもたらしている。アメリカでは、自分たちの「自然な」支配が失われたと感じて困惑する白人(特に男性)が増えている。かれらは自分たちの国を取り返したいと考えている。そうしないと、アフリカ系、メキシコ系、ムスリム、同性愛者、女性など「支配されてきた」「無価値な」他人の大量流入によって打ちのめされてしまうのである。この「自己憐憫」の恐怖が右傾化をはびこらせ、いまドナルト=トランプの大統領指名候補という形で表舞台に現れた。

 ある集団は別の集団を支配しなければならない。市民が対等に働き、暮らし、互いにわかち合うという考えは、この世界観の前には幻想だ。黒人や移民、女性、ゲイが国家のなかで小さな分け前を得ようとすれば、それらの分け前は支配している集団から「取る」しかない。

 この考えに立てば、支配はあらゆる集団にとっての最終目標となる。集団の目標は、寛容な社会での正当な分配や自由や機会均等をめざすのではない。もっとも支配的な集団を征服することが目標となる。人間生活は常にゼロサムゲーム(たすとゼロになる)となる。だれかにより多くの機会を与えれば別の者の機会は減る。誰かがより自由になれば、別のものがり不自由になる。あなたは教育を受けてより洗練され感動的な生き方ができるかもしれないが、一方で無為にすごす者達の群れにいるかもしれない。

 西側諸国の外交は、例外なく、自身の権力構造にとって利益をもたらすよう経済的戦略的な資源の支配を目標にしている。世界をよくしようとか、市民が平和に暮らすために国を安全にしようとかといった話は論外だ。市民の安全は西側諸国の外交政策のテーマではない。
 
 このような外交政策の結果、世界が不安定になり、過激な行動を産み、それに傷つく人が発生し、国が危険になり、公共財産が流出し、腐ったインフラと債務の山、チャンスのない、殺伐とした壊れたコミュティーのなかで、市民が絶望に沈んでいくのだが、そのことを彼らは知っている。

 知っていながら支配の代償として受け入れているのである。イラクに対する米・英の経済制裁に際して「すくなくとも50万人の子どもが死亡する」という指摘にたいし、オルブライト国務長官は「それだけの代償を払う価値がある」と述べた。

 彼らはいう。これは自分たちの良い「特別な」国による支配なのだと。あるいは「西洋文明」の豊かな価値を守るためなのだと。しかし実際は、利益を得ているのは国家体制の一部、支配階級のみである。この傾向は近年より顕著だ。中流階級の悪化は明らかである。軍事力を持った高度資本主義という大波を前にして、救命ボートがすべて引き上げられ、かつて利益に預かった者までもが溺れていくようなものである。貧困者は見えてさえいない。

 ブリュッセルの被害者は、パリやイラク、シリア、イエメン、スーダン、ソマリア・・などはるかに大規模な被害者と同様に、西側諸国の外交政策によってもたらされた。罪のない人を殺すことは目的遂行のために必要なコストなのだと日々世界に教えこんでいる西側外交の思考を、今回の攻撃を行った犯人はとりいれたのである。50万人の子どもが死のうとも、100万人の罪なき人が死ぬ侵略戦争であろうと、結婚式を無人機で爆撃しようとも、病院にミサイルを撃ちこもうとも、ノーベル賞の記念品が光る大統領執務室で毎週の「殺人リスト」の名前を口述していようとも、手段を選ばずやらねばならないという考えである。

 このテロリストたちがどうやってかくも残酷な虐殺行為をブリュッセルでやったか。わたしたちはとまどっている。しかし一方で、わたしたちの大半は、楽しそうに、ときに祝いながら、さらに広範囲で連続的な虐殺が、われわれの指導者によって、支配を実行する目的でなされているのをながめている。前者と後者は関係ないのだと思いたがっている。

 しかし、この外交政策の目標、つまり支配は、100のブリュッセル攻撃をうけてもつづくだろう。毎年12件の911がおきてもつづくだろう。
 
 われわれは世界に暴力を教えた。野蛮な形で個人の命や社会、共同体、国を破壊することを教えた。それに対して世界が反応したことにショックを受けている。

 ブリュッセルで今日見ている罪なき人の殺戮が正当化されることは絶対にない。しかし同じおぞましい犯罪、罪なき人を殺し、何百万人という人の暮らしを破壊し、恐怖で満たす行為が、わたしたち西側諸国や同盟国のリーダーたちによって日常的かつさらにおおきな規模でなされている。これもまた不正義であり、ブリュッセルの事件と同じように否定と抗議がなされて当然ではないか。