高円寺で「高円寺一貫校問題」を語ったら「空気を読め」と言われたー

「空気を読め」という奇妙な言葉が日本にはある。これを外国語で言うときに、いったいどう翻訳すればよいのだろう。まったくもってわからない。
 
 きょう、筆者はこの言葉をおもいもかけず言われた。はじめてのことである。そして非常に不愉快な思いになった。なにが不愉快にさせたのか、考えながらこの項を書いている。

 いきさつはこうだ。ある知人と会食した帰り、友人が集まっているので顔を出したい、お前も来ないかという彼の誘いにつきあって高円寺のとある場所に行った。初対面の男女数人と雑談し、帰りかけたところ、知人がこう言った。

「それにしてもひどいよねえ。大阪の森友学園…」

 この話題を受けて筆者は、「じつは杉並でも学校をめぐる問題はあるんですよ」と、高円寺一貫校の問題、そして明愛保育園の国有地取得と補助金をめぐるうさんくさい話を説明しようとした。

 はたで聞いていたボス格の男性から冒頭の言葉を言われたのはこの話の途中であった。「あなたもそういう仕事しているのなら空気を読んだらどうですか」と彼は言った。筆者がジャーナリストを職業としていることは説明してあった。何が言いたいのか、とっさに理解に苦しんだ。

 要するにその話題をやめろといっているらしいとはわかる。だが、そうであれば「失礼だが、私は興味がないのでほかの話題にしてくれないか」とかはっきりと言うのが大人の態度だろう 
  
 高円寺一貫校の話題も、明愛保育園の土地問題も、彼には興味がなく、聞きたくもなかったのかもしれない。そのことは責められない。だが、かれは「私はわからない。興味もないのでやめてほしい」というのではなく、他者も自分と同じ考えであるとのきめつけのもとで、「空気を読め」、つまり「みんな興味がないことくらいわかれよ」と婉曲に言ったのだ。

 仮に「あなたの言っていることは間違っている」などと反論されていれば、あるいは怒ったかもしれないが、不愉快にはならなかったはずだ。また「その話に私は興味ない」と言われても、残念だと思ったとしても、やはり不愉快にはならなかった。

「この場にいるものは誰もお前の話など聞きたくないのだ。黙れ」

「何をしゃべっていいか、何をしゃべってはいけないかは、ボスの俺が決めるのだ」

 力づくで口を覆われるようなそんなメッセージを、筆者は「空気を読め」という表現に感じた。だからこそ不愉快に思ったのだ。

 「空気を読め」を外国語に翻訳するなら、「うるさい、黙れ!」というのがふさわしいのかもしれない。

 

投稿者: miyakatu

ジャーナリスト

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